2016年4月29日金曜日

米とキューバ国交回復と平城

中国が経済開放路線に歩み
ソ連は経済的にも追い込まれ崩壊
ベルリンの壁崩壊に驚いた人は多い


( - ゛-) ぱふ


1989年11月9日
ベルリンの壁が崩壊した日である
僕はこの時に京都に住んでた


1991年12月25日
ソビエト連邦も崩壊したのです
社会主義の国に変化が起きた


欧州をミテミタイ思いを強めた


この3年後
僕は欧州へ旅立ったのです
ドイツのベルリンにも行きましたね


欧州へはモスクワ経由で行った
アエロフロートを使ったからです
モスクワの空港は暗かった


2002年
北朝鮮から拉致者が戻る
なぜ突然北朝鮮に拉致されてた人たち
日本へ戻ることになったのか?


ベルリンの壁崩壊と関係があるのです
ソ連崩壊と関係があるのです


社会主義国が生き延びる為
中国の解放路線もお手本にして
どう変化させていくかが考えられてた


先行して動き出したのが北朝鮮だ
日本との関係を改善させたいと動いた
このきっかけ作りに利用したもの
これが拉致者を返すことだ


北朝鮮との拉致交渉って
元々は日本と北朝鮮の国交回復
その為の道具だったのです


これを複雑にさせ
遅らせた理由が処刑された張成沢
彼が窓口になり私的な金儲け
行われたからだろう


朝銀へ出された公的資金
1兆4000億円以上のお金
どこに消えたのか?


張成沢の背景には中国軍もいた
拉致問題には最初から中国も絡んでた
このことも重要なことである


一部の者たちが私的な欲を出した
このことが北朝鮮との拉致交渉を妨害
北朝鮮が求めた国交正常化もできん
止まってしまったのです


2002年の日本と北朝鮮の拉致交渉
この動きに影響を受けたのがキューバ
北朝鮮の友好国である


米国にとってキューバは敵だ
日本人が北朝鮮に対して複雑な思い
あるのと同じ思いがあるようだ


キューバが一部経済競争を導入
この考えをカストロの弟のラウル
彼が持ってることが米国にも流れる


米国とキューバが意識しはじめる
互いに認識したのが2002年
5名の拉致された人が帰国
この年の前年である


この流れがやがて動き出す
バチカン法王に南米出身者がなった
このことも動くきっかけになってる
オバマが大統領だったこともね


決定的な理由はベネゼエラだろう
カストロの後継者と言われてた
チャベス大統領の死だ


2013年3月5日だ


南米の社会主義の国々
ベネゼエラの石油資源により
応援を受けていたからね


より経済が厳しい状態になること
予想できる中でキューバは動いたのだ
一部競争を導入する動きを示す


運命は導かれた
米国の大統領がオバマだった
そしてバチカン法王も南米出身だ


逆の見方をすると・・
突然南米出身者に変わったのだ
前任の法王がマネロンダリングの責任
責任を取り辞めたからね


ベネディクト16世の生前退位
2013年2月28日だ


チャベス大統領の死の少し前だ


この後のコンクラーベで選ばれた人
現在の南米出身のフランシスコだ


少しずつ時系列に並べるとミエル
米国とキューバの国交回復への歩み
裏で何が起きていたかがね


元々影響を与えたのが日本である
日本は米国の同盟国だけど
キューバとも仲がイイ


米国と戦った日本に対して
キューバの革命家チェ・ゲバラ
彼が広島の原爆ドームにも行っている


偶然だろうけど伊勢志摩サミット
この時に米国のオバマ大統領も
広島へ行くようなこと
報道されてる


奇遇ですね


北朝鮮の拉致交渉
元々は社会主義国の経済への不安
このことから動いたのである


このことは再度認識すべきでしょう


ミ((((( ̄○ ̄) ぷり 

0 件のコメント: