2016年7月21日木曜日

ベビーシッター事件の陰

ネット上で語られてることがある
預かった男児を殺害した男
知的障害者かとね


( - ゛-) ぱふ


犯人の物袋の顔をミテの判断であり
情報源を手繰っても確認できないけど
当たらずハズレずだと僕も思ってる


軽度の障害者は障害者手帳を持たん
なんら社会で生きるメリットもない
申請しない人も多いのです


知的障害者でも
高校も卒業し専門学校へ行く
そんな人もいますから


僕は障害者運動に関わり
障害者の社会参加を進める活動
行っていたから知ってます


犯人が知的障害・発達障害・・
なんらかの障害があるかはわからない
専門家でも外観だけでは判断はできん


軽度の知的障害者や発達障害
単なるバカな人とひとくくりもできん
昔から言う言葉だけどどこか抜けてる


そんな人は羞恥心が少ない
精神的な重さが増えると放棄する
忍耐力にも欠け無責任さが出る


ようするに子供なのです
無邪気で無責任な精神のまま
大人になります


責任が軽い状態の時
上手に上に立つ人が指示を出し
共同作業の中で働くとわからん
誰も障害者とは思わない
共生ができます


しゃべっても普通だしね


誰も管理する人がいない状態に置き
責任ある立場になってしまった時
幼さが浮き出てくる


なんかベビーシッターの男
物袋の特徴と似てますね


普通の人なら
幼い子供を預かれば責任がある
そう思うのが普通だ


大変な仕事だから
安易に幼い子供なんて預かれない
普通の人はそう考えます


そう考えないのが知的障害者
幼い考えのまま大人になった人だ
できるやらしてくれと言って放置
よくあることである


ベビーシッターの物袋のしたこと
とても軽度の知的障害者の特徴
出てると僕も思いますね


あくまでも軽度だ
障害があると言っても
罪状には大きな変化はありません


問題は日本社会の無責任さだ
イヤ~な現実をミタ気がする


僕は障害者の社会参加を進める活動
行う中でおかしいと思うことがあり
言ってたことがある


「障害者と言って分けるな!」


この意味を悪用する障害者や親もいる
なんでも差別と言う人がいるのです


障害を持つ人もひとりの人である
人にはそれぞれ資質があります
資質を無視するのです


わかりやすいことがある


障害者が障害者をカウンセリング
自立生活運動の中で行われてキタこと
障害者なら誰でもできるのか?


変でしょ?


普通の社会では違います
人にアドバイスを与える立場になる
資質があり勉強もし初めて仕事に付く


仕事についても向かない人もいる
転職する人も多いでしょう
誰でもできません


利用者にも認めて貰わなきゃね


あたりまえでしょ


障害者の世界では違うのです
資質が向いてないとか言うと差別
差別と言う人も多い


多くの人が黙ってしまった世界
無責任な状態で放置されてしまうこと
あるのです


子供と知的障害者の無邪気さ
障害者運動に関わってるとよくミル
上手に楽しく遊び相手になってる


だから子供を預かる形
仕事にできないかと思うのも自然だ
ただあくまでも遊び相手である
このことを間違ってはダメ


子供が怪我をして泣いた時
困ってしまい泣くなと強く脅したり
放棄してしまうのが知的障害を持つ人
これが現実である


管理者がいる中で上手に使う
人の資質を理解した上で共に働く形
このことに取り組まない中
共生などはない


不幸をまき散らすだけですね
きちんとした議論ができる国になる
日本に必要なことである


ベビーシッターの男
物袋に障害があるかは知らん
ただ言えることは無責任な男であり
羞恥心が欠けているようにミエル


こんな男にベビーシッターをさせる国
日本はどうかしてますね


自由を求め無法状態を作り出す日本
自由の意味をまずは議論すべき
それすらしてこなかった国


民主主義国家を名乗ってるのである
リベラルの幼稚さに呆れます
問題が起きる場所・地域
その地域はなんかある


「じろり」


戦後保守は拝金主義に染まり
戦後リベラルは個人主義に染まった国


これがじゃぱーんだ!


ミ((((( ̄○ ̄) じゃぱーん

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